2017年7月20日
「供養ってどゆことですか?」
先日のご法事の席で、20代前半の若者からこのような質問を頂戴しました。
まず、このような質問を投げかけてくれた事に喜びを感じます。
興味や関心がなければ疑問は生まれないと思うのです。
少なからずとも、彼は少し関心を持ってくれているのかもしれない。
ここで、どんな風にお答えするかは非常に重要です。
さて、どんな風にお答えしよう??
お盆前ですし、ここで供養について改めて考えてみましょう^ ^
供養とは一言で申しますと『心遣い』であると思います。
それを具体的に行動で示していくことが『供養』
私はそんな感じでお答えしたように思います。
ですので、ご先祖様に対して行うことだけが『供養』ではありません。
物を大切に扱うことも1つの供養。
食べ物を残さないで食べることもそう。
ことご先祖様に対する供養も、心が大切。
そこで一例
とあるお盆の風景
1.お盆だしお墓参り行かないといけないけど、色々と予定も入ってるし、今年は『墓参り代行サービス』を利用して業者さんにお任せしよう。
2.お盆だしお墓参りも行きたいけれど、仕事が忙しくてどうしてもお盆中には伺えないから、ご先祖様には悪いけど『墓参り代行サービス』を利用してお花をお供えしてもらい、また後日時間をとって伺おう。
こちらは同じ『墓参り代行サービス』を利用していますが、1より2の方が『供養の心』を感じます(私の主観)
幼い頃、ご飯を残さず食べようと教えられました。
物質が豊かになった日本では、『もったいない精神』はどこか浅ましく見える方もいるかもしれませんが、『もったいない精神』こそ、その根本には『供養の心』が備わっているように感じます。
『墓参り代行サービス』がメディアで紹介された時、
「さすがにちょっと・・・抵抗ありますね」
「心がない!」
などの声が上がっていましたが、私はあまり否定的には思っていません。
要はそのサービスを利用する側、使い手の心に問題があるかどうかだと思います。
極論、1の方も墓参り代行をお願いすることを考えているので、気持ち(心)が無いわけではありません。
仮に君のおじいさんがタバコが大好きな人だったとして、
だからおじいさんのお仏前にたくさんのタバコを供えてあげたいと思ったとして、
でもやっぱり体に良くないものだし、タバコをお仏前にお供えするなんて不謹慎ですよね?
と尋ねられたら、
私は
「それがおじいさんに対する君の心遣いなんだから、喜んでくれると思うよ」
と、答えます。
仮に
「やっぱり不謹慎な気がするし、他に好きだったものをお供えしよう」
と、君が思ったとしても、それも1つの『心遣い』です。
だから私はあまり形式を気にする必要はないように思うんです。
心が備わっていれば、自然と形も整ってくると思うからです。
ですが、形を整えることで、心が備わる場合もあるように思います。
形を整えようとすること自体、心が備わっているからこその行動とも言えるかもしれません。
と考えると、どちらも大切なことに思えてきました。
でも入り口はそれぞれでいいのかな。
形から入る人
心から入る人
みんなそれぞれ
向いてる方向が大事
なんか最後はアバウトな表現だな〜(-。-;
きちんと伝わったかな?(^_^;)