施餓鬼にまつわる物語

2021年9月9日

 本昌寺では、年に3回『施餓鬼法要』をお勤めしています。お盆についてのお話は何度かお話したこともあると思うのですが、施餓鬼についてはなかったかもしれない。。。

 ということで、今回は『施餓鬼』についてのお話です。

 施餓鬼は、『救抜焔口陀羅尼経』という経典に依るもので、お釈迦様のお弟子様の阿難尊者と焔口餓鬼(えんくがき)のお話が由来とされています。痩せ衰え、喉は細く、口から火を吐く焔口(えんく)という餓鬼が、突如、阿難の前に現れ、

「お前も私と同じような醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」

と言い放つのです。それに対して阿難は、餓鬼世界で苦しむ多くの命を救うために何が必要かをお釈迦様に尋ね、お釈迦様の教えの通り、餓鬼に食べ物や飲み物を施し、懸命に餓鬼たちを救おうと働きかけます。この阿難の布施行によって、餓鬼たちが救われただけでなく、施しをした阿難もまたその功徳によって仏道を証得したとされています。

 余談ですが、法事やお通夜の後席にて食事を振る舞う習慣も、そのことに大きな功徳があるとの考えからきていると、この話から読み解く事が出来ます。

 

 以前にもお話したかと思いますが、施餓鬼法要は、自分の父や母、ご先祖様だけが救われることを願うのではなく、すべての命が救われることを願う法要です。

 戦争でお亡くなりになられた命、天災でお亡くなりになられた命、病災でお亡くなりになられた命、供養を受けることが出来なかった命。

 生きとし生けるものすべての命に向けられた法要であり、そこに施餓鬼の大きな意義があります。

 

 現在の日本社会は、コロナの影響も大きく、混乱を極めています。

 混乱期は、人を思いやることや布施の心を見失いがちになりますが、逆説的に考えると、それらの大切さに気づくことの出来る機会でもあると思います。

 施餓鬼の精神(思いやり・布施の心)を、実生活でも大切にして参りましょう。

 私も頑張ります!

 

コロナ禍で、

「最期のお別れが出来なかった」

「葬儀に参列できなかった」

「亡くなられた事も知らなくて、数ヶ月経ってからお聞きした」

という方のお話を、時々お聞きします。

もし、ご相談頂けたら、何かお力になれるやもしれません。

お話したい事などあれば、こちらにお問い合わせ下さいませ。

本昌寺メールアドレス:honsyouzi@gmail.com