2021年12月10日
さて、Episode4は、【長者窮子(ちょうじゃぐうじ)】です。
『妙法蓮華経信解品第4』で、お釈迦様の説かれた教えに対し、お弟子方がきちんと理解したことを示すために説かれた喩え話です。
ちなみに【長者窮子】は、法華経の言葉をそのまま抜粋したものではありません。
法華経の中で説かれている7つの喩え話の1つで、そのタイトルのようなものだとご理解下さい。
文字通り、長者と窮子。
2人が主役の物語です。
ウサギとカメ
ヘンゼルとグレーテル
アナと雪の女王
『〇〇と〇〇』というタイトルがついたものには、非常に名作が多いかと思いますが、【長者と窮子】も間違いなく名作です。
諸事情あって、ここでは物語の概要を掲載していません。
是非、『法華経 長者窮子』と検索し、『日蓮宗ポータルサイト』の内容をご参照下さい。
長者・・・お釈迦様
窮子・・・私たち
このように喩えられているご理解頂き、以下を読み進める前に、物語の全容を読んでみることをお勧め致します。
以下では、この【長者窮子】の物語を受けての、私の領解をお話させて頂きます。
さて、まずは法華経というお経が説かれた目的について。
なぜ、この法華経が説かれたのでしょうか?
まだまだ浅学の身で恐縮でありますが、
『普遍的な平等思想を伝えるため』
このように理解させて頂いております。
では、なぜ『普遍的な平等思想』を伝える必要があったのでしょう?
それは、世の中に差別的思想、不平等な思想が入り乱れていたからに他なりません。
身分の低い身で生を受けたならば、どれだけ頑張ってもその身分から逃れられない。
逆に高い身分で生を受けたならば、とれだけ堕落した生活をしていても、優雅な暮らしを送っている。
仏教には、大乗(大きな乗り物)、小乗(小さな乗り物、この言葉は今は使いません。)といった言葉がありますが、これもよくよく考えると、比較することで生まれる言葉なので、差別的な思想と言えるかもしれません。
このような社会で、報われることがないと思い込んで生きていれば、
「どうせ、俺なんて・・・」
そんな気持ちが芽生え、自分の可能性(仏性)を信じることが出来なくなってしまいます。
まさに、この物語の窮子のような状態ですね。
今風の言葉で言うなら、自己肯定感の低い状態。
そんな窮子に対し、長者はあの手この手を駆使して、また膨大な時間をかけて、窮子に自信を取り戻すための策を講じていきます。
最終的には、長者の財産を全て受け継ぐことになるのですが、ここで重要だと私が感じているのは、長者と窮子は親子であり、長者の財産は窮子のものでもあったということです。
ただ、その素晴らしいものを持っている自分自身に、窮子自身が気づいていなかっただけなのです。
この気づいていないという状態が
「どうせ、俺なんて・・・」
という、自己を肯定できない、自分の可能性(仏性)を信じることが出来ない状態と言えるかと思います。
私は、法華経のこの物語に大きく影響を受けました。
好き嫌いで表現していいのかわかりませんが、大好きなお話です。
自己を肯定出来なくて悩んでいるなら、書店で並んでいる啓発本を手に取るより、法華経に触れてみて欲しい。
そんな風に思います。
「どうせ俺なんて・・・」
そんな自己否定の自分から
「俺にもできるかも・・・」
そんな自己肯定の自分に。
生まれながらに与えられていた。
しかし、そのこと自体を忘れてしまっていた。
そんな自身の中に咲くたった一つの花の存在に、気づきを向けることが出来ますように。
そんなメッセージを込めて。
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