プロ意識

2017年7月4日

タイトルを『プロ意識』としたもので、最近テレビでよくお見かけする加藤一二三プロの写真を使わさせて頂きました。

この方の笑顔にどこか癒されています。

現役生活、お疲れ様でございました。

 

それはさておき・・・

私自身の心構えといいますか物事を捉えるスタンスとして、

『なるべく自分の物差しで計らない』

ということを心に留めるようにしています。

「いやいや、出来てないですやん!!」

という声が聞こえてきそうですが、自分の中では気をつけるようにはしています。

「この人は立派!」

「この人はダメ!」

「これはいいこと!」

「これはわるいこと!」

こういう『判断』は自分の中にあるモラル、常識、思想のもとで導かれる『判断』であると思います。

自分は時としてこういう『判断』をすることに疲れを感じてしまいます。

良い悪いの『判断』を下していくことで心の均衡を保っているという方もいると思いますが、自分はなんだか疲れてしまうんです。

ですので、自分としてはなるべく自分の物差しで計らないように、『フラットな立ち位置』でいることを心がけるようにしていたりします。(そんなことを言いながら、ついつい判断してしまっていることはいっぱいありますが(-。-;)

そんなスタンスでいる私ですが、つい最近報道があった稲田防衛大臣の不適切発言には耳を疑ってしまいました(°_°)

「自衛隊としても・・・」

とおっしゃっておられたあの報道です。

さすがにちょっと・・・

自分の立ち位置をわかってらっしゃらないのかな・・・

と思った瞬間・・・ハッ!?

いや、待てよ・・・

これは自分も気をつけておかないといけないことだと、襟元を正されるような気持ちになりました。

この発言、自衛隊のことも国の防衛のこともよく理解していない私のような人間が発言したものならば、

「そうなの??全然知らなかった。ごめんね〜」

で自分が恥ずかしい思いをすれば済む話ですが、防衛大臣の発言となれば話は別です。

しかも公的な場ですので尚更です。

防衛のプロフェッショナルの立場にあるべき方が発言すべきことではありませんし、

「そんなこともわかっていないのか?」

と揶揄されても弁解の余地はありません。

近頃お寺には色々な営業の方からの電話がありますが、営業マンというのは、自分自身が売ろうとしている商品のことは、1から100までちゃんと理解していることが最低条件ではないでしょうか?

そこに自分の熱意、会話術などが加わればより成果を得られるかもしれません。

すいません、話がずれてしまいました(-。-;

私が言いたいことは営業マンの成績がどうとかそんな話ではなく、

仮にトヨタの営業マンであるならば、自分が売ろうとする車のことは、

何を聞かれても答えることが出来てしかるべき

ということです。

それが『プロフェッショナル』。

そう考えると、身が引き締まる思いです。

『プロのお坊さん』であるならば、仏教のことに対する見識は1から100まで理解していてしかるべき・・・

うっ、、、耳が痛い(T-T)

車の営業マンとお坊さんでは少し立ち位置が違うかもしれませんが、なんとなく伝わったでしょうか?(^_^;)

仏教はお釈迦様が生涯かけて残された智慧の宝庫です。

お釈迦様が生涯かけて残されたものを、たかだか36歳の私が1から100まで理解していますなんて言えるほど、単純明快なものでもありません。

わからないことは山ほどあります。

自分自身でわからなくしてしまっていることもあるような気がします(笑)

わからないことはダメなことではないと思いますが、わからないままにしておくのはよくない。

お坊さんとしての『プロ意識』というのが、どういった姿勢を指すのか・・・

よく考えなければなりませんが、

法衣を身につけている以上、『プロ』として見られていることは確かです。

これはどんなお仕事にも言えることだと感じますが、

『プロ意識』

ということは常に心に据えておきたいと思います。