大阪梅田のど真ん中で行われた『座禅会』

2017年9月26日

秋のお彼岸前の話になりますが、禅宗(曹洞宗)の先輩僧が主催する『座禅会』に参加して参りました。

大阪の繁華街、梅田のど真ん中で行われた『座禅会』。

会場は『体にいいものを』のコンセプトで料理を提供する飲食店さん。

食事の作法の指導を頂いてから、実際にお食事(素材そのものの味を味わえるように調理した精進料理でした)をし、仏教と座禅のお話、座禅の実践、本日の体験のシェアと、およそ2時間半ほどの内容でした。

自身の勉強不足を露呈してしまいますが、座禅の作法の説明を受ける際には、聞いたことない言葉も結構ありまして、非常に新鮮な気持ちでお話を聞けてしまいました(・_・;

座禅は修行です。

今日は「修行って何?」

ってところを少しだけ掘り下げて書いて参りたいと思います。

お釈迦様は「人生は『苦』である」と説かれました。

その『苦』からの解脱は、八正道と呼ばれる8つの正しい道を実践していくことで、この座禅は八正道の中の『正念』、『正定』を修養するための実践修行であるとのご説明が先輩僧からありました。

『正念』とは今現在の内外の状況に気づいた状態でいること。

『正定』とは正しい集中力を身に付けること。

これらを養うための実践が『座禅修行』

 

私は日蓮宗の大荒行堂に初めて入行する際(当時23歳)、修行することの意味について深く考えていなかったように思います。

一人前の僧侶として認めて頂くためには必要不可欠なこと、お寺を継ぐためには必ず通らなければならないこと。

そんな風にしか考えていなかったように思います。

修行に励む心構えとしてはいささか不適切ではありますが、それでも厳しい修行を経て学び得るものはたくさんありました。

日蓮宗僧侶の資格を取得するための信行道場を終えた時、

大荒行での初めての修行を終えた時、

先輩僧から頂戴するご祝辞には決まって次の言葉がありました。

「これからが修行の始まりです」

そんなご祝辞を神妙な面持ちで聞いているのですが、内心は

「エーーー(・_・; 少しゆっくりしたいなぁ」

です(笑)

それはまぁ冗談ですが、このご祝辞に秘められたメッセージは

「修行で培ったことを、娑婆世界で実践していくんだよ」ということだと思いますが

私は

「これで修行は終わりではなく、人生そのものが修行ですよ」

ってことだと受け止めています。

厳しい環境、劣悪な環境、理不尽な環境、そんな環境に身を置きたいなんて誰も思わないかもしれませんが、そんな環境によって、自身に気づきが与えられることは多くあると思います。

私も荒行での経験を経て、日々の普通の食事がどれだけ有難いか、満足な睡眠を得られることがどれほど体を支えているか、食欲と睡眠欲が満たされなければ他の欲求など湧いてこないことなどを、身をもって体験しました。

『苦』があるから『楽』もあり

『絶望』の先に『希望』が見える

 

自身が辛い環境に置かれている時、それが自ら望んだものでない時は、それを修行だなんてゆう捉え方はできないかもしれませんが、結果的にそんな時期があったから今の自分があるなと、そんな風に思えるような人生(修行)を歩めたらいいんじゃないかなと。

 

そんなことを思わせてくれた『座禅会』でありました。