2017年11月24日
突然ですが私、
意識不明の重体で、生死を彷徨ったことがあります。
原因は、だんぢり祭りの際に引き起こした熱中症でした。
確か21歳の時だったと思います。
病院に搬送された私は、意識が定まらないまま
「そうりゃー そうりゃー」(だんぢり祭りの掛け声)
と、叫び続けていたというのは、母から聞いた話。
お医者さんからは、非常に危険な状態で、万が一のこともあり得るとのこと・・・
現実の状況なんて知る由もなかった私は、その時夢の中にいました。
真っ白な空間の中で、ポツンと私が立っており、それを客観的に眺めているような夢でした。
私はどこかへ向かって歩いているようでした。
トボトボと歩いていたその時、一緒に祭りに参加していた友人の声が聞こえてきます。
「どこ行くんよ? こっちやで!」
その声が聞こえたようで、私は振り返ります。
そして、皆が呼ぶ方に足を向けようとするのですが、どうしても足がその方向へ向きません。
友人たちは何度も何度も声をかけてくれます。
ですが、それとは裏腹にどんどん距離が広がっていきます。
直感的に「このままではやばい!」と感じた私は、必死で抵抗しようとします。
その時、皆のいる場所の後ろの方で、聞き覚えのある声が聞こえてきます。
それは読経の声でした。
その声が耳に入ってくると同時に体に自由が戻り、皆がいるところに歩みを向けることができました。
そして、私は目を覚ましました。
目を覚ました時、私はこの夢の内容を全く記憶していませんでした。
祭りの最中に熱中症になって運ばれた事はおろか、祭りに参加していた記憶もなくなっていました。
全ての記憶があやふやになっていて、母の顔を見た時には、友人の名前で呼んだそうです。
時間の経過の中で次第に記憶が戻り、、夢の中での不思議な体験のことも、知らぬうちに私の脳に刻まれていました。
脳の仕組みについては、よくわかりません。
もしかしたら、私が私の都合で勝手に作り出したストーリーなのかも?
なんていう思いもありますが、不思議なことが一つあります。
それは、私が生死を彷徨っている時、父は私の無事を祈って読経・唱題してくれていたことです。
一体何が起きていたのか?(ホラーじゃないですよ!)
論理的に説明することはできませんが、私には法華経(お経)・お題目のご加護を頂く体験がありました。
それ以後、全身麻酔の手術を3回経験しているのですが、麻酔科医の先生に
「今から麻酔薬を入れるので、ゆっくり数字を数えてください」
と言われた時、
「南無妙法蓮華経〜 南無妙法蓮華経〜 南無妙〜・・・」
とお題目をお唱えしています。(当然ながら驚かれます笑)
だいたい3唱目で、意識が飛んでいきます。
大難は小難に。小難は無難に。
ここで頂いているご利益は、『手術が無事に成功する』ことではなく、『大丈夫だと思える安心』です。