原因の捉え方

2018年1月8日

『副住職の蛇足ブログ』、本年初更新〜♪

1月に入り1週間近く過ぎ、すっかりいつもの日常へ。

今年も学びの年にしたいなと、息巻いております。

『学ぶ』ということを考えた時、お坊さんであるということから、仏教関連の本を手にすることが多いのですが、読めば読むほど奥が深く、正直頭がこんがらがってきます(~_~;)

おそらく『仏教』について1%も理解していない私ですが、なんとか2%、3%と理解を深められるようにして参りたいと思います。

 

では今回は、そんな仏教から得られる学びのお話。(自身の体験から)

よく怒る人、怒りが芽生えても感情を表に出さない人、あんまり怒りが芽生えない人。

色んな方がいらっしゃるかと思いますが、生まれてこのかた、怒りの感情が芽生えたことのない人というのは、なかなかいらっしゃらないと思います。

私はそんなに怒りっぽい方ではありませんが、腹の立つことはちょいちょいあります。

これは人間なら誰しもあることです。

でもその原因はなんなのか?

ということを考えた時、たいていの方は自分の内側ではなく、外側にあるものが原因だと思っているのではないかと思います。

ちょっと言い回しが分かりづらいですかね。

例えば、あなたが

『扉を開けっ放しにして欲しくない』

と思っていた場合、ご主人が扉を開けっ放しにしていたならば、大なり小なり怒りが芽生えると思います。

その場合、その怒りの原因を、

『ご主人が扉を開けっ放しにしたから』

と考えると思います。

これが外側にあるものが原因と捉えることです。

ですが、お釈迦様は外側にあるものが原因だとは考えないのです。

ここが悟りを得た仏様の智恵。

我々にはなかなか思いつかない発想。

では、内側の原因とはどういうことなのか?

人間には様々な欲が備わっていることはご承知のことと思いますが、その欲の働きが『怒り』の原因になると考えるんです。

先ほどの話の場合、『扉を開けっ放しにしないでほしい』という風に『求める心』が怒りを生み出していると考えるわけです。

つまり、原因は『自分の心の働き』!

・・・

「はぁーーーー? そんなの開けっ放しにする方が悪いでしょ?」

という全国の主婦の声が聞こえてきそうで、少しばかり震えています(~_~;)

誤解のないように申し上げますが、扉を開けっ放しにすることを肯定しているわけではありません(・_・;

扉を開けっ放しにしたら、私も妻に怒られます。

だから、忘れずに閉めるよう気をつけています^^;(それでも忘れるうっかり男ですが・・・)

ただ、ここでのポイントは怒りに対する原因の捉え方です。

自分の心との上手な向き合い方として、そんな風に考えると怒りが治(おさま)りやすいという実感が私にはあります。

イライラムカムカしているのって、気分的にもよくないですよね?

しかも外側に原因を求めていると、その原因を解決するには周りが変わってくれなければダメですが、内側に原因があると思えたならば、自分次第で解決へ導くことができます。

もちろん協調性は大切で、自分が望むように動いてくれる方との付き合いは、ストレスフリーで心地がいいです。

しかし、周りが自分の思う通りに動いてくれることなんてほとんどありません。(赤ちゃんの時ぐらいじゃないかなぁ〜)

怒りは『自分自身の求めすぎな心』によって生じる。

こんな風に心に留めておくと、一時的にムカッとなってしまうことはあっても、イライラが長続きしないように思います。

より良い心づくりのヒントが、仏教にはたくさん詰まっています⭐️

 

ちなみにお釈迦様は4月8日のお生まれ。

この日の認知を広めるために、活動されているお坊さんがいらっしゃるので、私も協力します。

歴史の年号を覚える時のように、『四苦八苦(4月8日)を取り除く』と覚えていただければ幸甚^^