もしも〜の話  『もしバナゲーム』

2019年3月31日

少し前の話になりますが、大阪は守口市、南詢寺様で開催された『もしばなゲーム』に参加して参りました。

こちらのお寺の副住職様とは、『未来の住職塾』というコミュニティでご縁を頂き、学びの場でよくご一緒させて頂いています。

 

今回の『もしばなゲーム』も、たまたま守口市の民法ラジオへの出演をお願いしようとご連絡しましたら、

「こんなの(もしばなゲーム)をやるから、よかったら参加しませんか?」

と、逆にお誘い頂いたので、守口市まで出張して参りました。

 

もしものお話

もし、自分が女の子にモテモテだったら

もし、宝くじが当たったら

 

人は、妄想が非常に好きなな生き物です。

現実とは違う何かを想像して、あれやこれやと考えることが、なんだか楽しかったりもします。

 

そんな楽しい『もしもなお話』をお寺でしてみましょうと考え企画されたのが、今回の催し。

 

一体お寺でどんな『もしばな』をするのか?

 

実は少し縁起でもない話をします。

 

・・・

 

『もしも、あなたの余命が後半年だったとしたら・・・』

 

・・・

 

こういうお話、私は非常に肯定的に考えていますが、中には

「そんなこと、考えたくもない!」

という方も多いかもしれません。

 

実はこのゲーム、日本の医療の現場や介護の現場で用いらているゲームだそうです。

 

自分がなんらかの病気を患った場合、どのような治療を受けるかなどの意思決定は、自分自身で決めます。

もし、自分自身が意思決定できない場合(認知症であったり、脳に障害を負ったり等)、治療などの意思決定は、その方のご家族が行うことになります。

しかし、こういったデリケートな話は、家族間同士でもコミュニケーションが取れていないことが多く、事前に真剣な話し合いが行われているご家庭というのは、非常に稀であります。

医療の現場では、患者の意思をなるべく尊重できるようにと考えます。

ですが、家族の決定が果たして、本人の意思に基づくものなのかが定かではない現状があります。

 

そこでこの『もしばなゲーム』。

 

私は、このゲームを体験してみて、お寺で取り組む内容としては、非常にうってつけではないのかと感じました。

カードを用いたゲームなので、百聞は一見にしかず。

実際にやって頂かないと、イメージが湧きづらいので、文章で詳しくお伝えすることが難しいのですが、このゲームにはやる上での目標があります。

 

それは、

『自分自身の価値観に自分自身が気づくこと』

『他のプレイヤーの価値観を感じてもらうこと』

です。

何に対する価値観か?

『余命半年と宣告された時の自分の価値観、他者の価値観』です。

 

●実際に37歳の私がやってみた感想。

「死を意識した時と、意識しない時では、自分の価値観(価値基準)が変わる」

「死を意識した時に、大切だと思うようなことを、死を意識していない時には大切にしていないことがある」

 

●他者の価値観を知ったことでの自分の感想

「人生経験や仕事によって大きく価値観が変わるんだなぁ。ということを改めて実感」

「どれが間違いとか正解とかではなく、家族間において、各々の価値観の共有はとても有意義なことだろうなと実感」

 

と、こんな感じです。

 

当日は、MBS(4チャンネル)のニュース番組、『voice(ボイス)』の取材が入る中、参加者同士、和やかな雰囲気で『気づきの時間』を共有させて頂きました。

 

私は、この『もしばなゲーム』に大きな可能性を感じました。

このゲームに『仏教』を感じる部分も多分にありました。

お招き頂いたお上人、ご縁に感謝です。

 

『もしばなゲーム』

法事の後席などで、やってみたい方がいらっしゃれば、ファシリテーターを務めてみたいと思います。