『得』と『徳』

2020年6月28日

『得』という字を調べてみると、

1、求めて手に入れること。利益を得ること。 『得点』、『得票』、『獲得』など

2、理解して自分のものとすること。 『得心』、『習得』、『納得』など

と表記されています。

では、『徳』はどうか。

1、精神の修養によって、その身に得た優れた品性。 『人徳』、『徳が高い』など

2、めぐみ、恩恵、神仏などの加護。 『徳を授かる』など 

 

なぜ、このようなことを書いているのかというと、お寺で勤められるご祈祷やお札のご利益を、『得をする』という意味合いで伝えてしまっている場合があるよなということに気付かされたからです。

『得をする』という表現をすると、多くの方がお金にまつわる『得』を想像すると思います。

私もそうです。

欲しいものをお得に買えたら嬉しいですよね。

もちろん『得をする』ということは、お金にまつわることだけではありませんが、お金に関して損得を考えることが多いですよね。

これは、私たちが『お金は大事なもの』として考える拝金主義・功利主義の世の中に生きているので、何が得で何が損かを判断する基準が、お金になっているからだと思います。

 

一度自分に問いかけてみました。

「お寺にお参りしたり、お寺と関わることで何か得があるだろうか?」

 

損か得かで考えると、お寺参りやお寺と関係を持つことは損な事かもしれません。

お布施を包んで頂いたり、ご寄付を頂いたりすることもありますから。。。

得になるか?と問われると、そんなことはないんですよね。

そもそも仏教は『得をする』ための教えではなく、『徳を備える』ための教えというのが自分の認識です。

 

でも、『得をする』というメッセージの方が惹きつけられちゃうんですよね(笑)

誰だって損はしたくないですし。

私もお得な話には、ついつい耳が傾いてしまいます。

 

時々、こんなことをいう言うお坊さんがいます。

「あなたが今よくないことばかり起こるのは、ご先祖様の供養をしていないからですよ」

これは違和感でしかありません。

このように言われて、ご先祖様を重んじるようになる方もいるかもしれませんが、これだと『得をする』ための先祖供養になってしまいます。

世に出回っている仏教にまつわる書籍も、『得をする』から仏教を学んでみよう的なものがあります。

内容も読みやすくて、面白くてためになるものも多数ありますが、『得をする』ことにスポットを当てるより、『徳を備える』ことにスポットが当たっているものの方が、私的にしっくりきます。

損得勘定を否定しているわけではありません。

人が生きていく上で、損得勘定なしにというのは現実味がありませんし、私自身も損か得かをよく考えてしまいます。

ただ、損得中心で全てを判断するようになると、品性の欠如に繋がるということはあると思います。。

それに伴い、人からの信用を失ってしまったりなど。。。

 

冒頭で述べた『徳』の意味

1、精神の修養によって、その身に得た優れた品性。

この『徳が備わる』ことで、『得をする』・・・ということはあるかもしれませんよね。

 

たとえ少数派であったとしても、お寺は、『得をする』ことではなく、『徳が備わる』ことの大切さを伝えていくことが望ましいのかなと思います。