お施餓鬼法要の営みで大切だと思うこと

2021年3月13日

まもなく春のお彼岸ですね。

本昌寺では、春秋のお彼岸とお盆の際に、お施餓鬼法要を営んでおります。

施餓鬼、施食、呼び方は異なる場合もありますが、日本仏教の多くの宗派では、このお施餓鬼法要を営んでいます。

ご先祖様のためにと、お施餓鬼法要での供養を続けてこられた方も多くいらっしゃるかと思います。

 

今回は少し角度を変えて、このお施餓鬼法要の意義を考えてみたいと思います。

 

先ほども申し上げましたが、

『ご先祖様の供養のため』

多くの方がこのように考えて、お寺にご参拝されてきたことと思います。

もちろん、何も間違ってはおりません。

本昌寺では、お塔婆に諸霊位のお戒名を筆入れし、そのお塔婆を建立して法要を営みます。

ただ、皆様からお申込み頂いたお塔婆だけが建立されているわけではなく、戦争でお亡くなりになった方々、震災や水害でお亡くなりになった方々、新型コロナウイルスに罹患しお亡くなりになった方々、全世界有縁無縁の諸霊位、このように全ての命に心を向け、それぞれにお塔婆を建立し、年3回の施餓鬼会にて供養を続けております。

これは、うちのお寺だけがという訳ではなく、多くのお寺で当たり前に営まれていることだと思います。

私は、ここにお寺の意義を感じていて、お施餓鬼法要を営む上で大切なことだと思っています。

 

お施餓鬼法要にご参列、お塔婆のお申込みをされた方は、ご当家様のご先祖供養だけでなく、多くの方の供養にも繋がっている。

そういった繋がりがあるのだと知って頂けると、また1つ、このお施餓鬼法要の意義を感じてもらえるのではないでしょうか?

 

繋がりの希薄化が懸念されている現代社会において、このような繋がりを粛々と守って参りたいと思います。